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zoom RSS コルカタ巴洛と一瞬のダルシャン

<<   作成日時 : 2010/08/16 20:54   >>

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国土地理院は空振りだったが、もうちょっと目的を持って歩いてみようという気にはなった。なので、地下鉄に乗ってカルカッタきっての名刹カーリーガート寺院へ。一番の観光ハイライトだってのに記憶にある限りでは24年前にもここには来ていない。名所巡りとしては何とも効率の悪いことだ。

地下鉄カーリーガート駅から10分ほどの歩き。周辺にはロウワーからアッパーまでのミドルクラスの住宅が立ち並ぶ。そういえば住宅街を歩くのも初めてだ。ほとんどが3、4階建ての集合住宅で、築50年から30年というあたりか。ともかく煤煙まみれで薄汚い。だけど一軒一軒の外観がまるで競い合うかのようにあれこれと工夫を凝らしていて見てて飽きないのだ。20世紀中頃のアジアにある程度まで共通とも思える(非常に緩い意味での)バロック建築。これはこのエリアだけに残っているのか、下町はみんなこんな感じなのかは判断が出来ないが、ともかく Nepal Bhattacharjee St.、Kalighat Rd. 界隈は濃密に楽しい。

道すがら、ほんの2、3軒ながらドゥルガー・プージャのためのクレイ人形を制作している工房にも行き当たった。クレイ人形といえばカルカッタ北部の Kumortuli という地区が有名と聞いてはいたが、南部のこの辺りにも多少は存在するようなのだった。後から調べたところ、この数件の集落は Potuapa という名前で呼ばれており、クレイ人形だけでなく民俗画の産地でもあるのだという。ここでの人形作りについてはこちらさんの丹念な記録が素晴らしい。

毎年9月-10月ごろに行われるドゥルガー・プージャはもちろんヒンドゥー教の祭りだし、インド全域で祝われているが、特にこの地域では大掛かりで、ムスリムもクリスチャンも巻き込むベンガル民族の大祭という位置づけだいうことだ(バングラデーシュでも現在も行われているという)。あるガイドブックには「カルカッタ版リオのカーニバル」と説明されていて唸った。

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さて、カーリーガート寺院。超有名寺院ではあるが、建築的には印象が薄い。周囲に蝟集するトタン掛けの商店と一体化してしまってどこからが寺院だかも分からない、そういうシティ・テンプルの造りだから。この門前町の薄暗いアーケードで早くも捕まってしまったのだ、「ボランティア・ガイド」に。順路も何も分からずに歩いてるこっちには逃げ場はなし。で、薄汚れた普段着・ニヤニヤ笑いの小柄なオッちゃんの後について入構し、ぐるぐる回って犠牲の祭壇場に。

ここで待ち構えているのが髭面・ドーティ姿の押しの強そうな別のガイド(坊さん?)。こいつが「ここはカーリー女神のための犠牲の祭壇場で、毎朝山羊が1頭屠られるのである」という僅か数フレーズをまくし立て、ついては恵まれない人々のために100ルピーの寄進をいただこう、と来るのだ。すでにこの時点でムッとしながらも一桁少ない浄財を手渡すと、100ルピーと言ったはずだと返してきやがる。自分でもどこにそんな元気が残ってたのかわからないのだが、ここでブチ切れて、自分勝手に決めた金額に足らないと寄進を返してよこすたあずうずうしいにも程があらあな、と喚く。若干驚いた風な親爺は「Money is nothing」とのたもうたので、おう、その言葉そのままお前に返してやるわと言い募ると、傲然としたまま黙って向こうに行ってしまった。あーあ、お寺で醜態。100ルピーなんてはした金だってことは分かってるけどさ。巷にはそれを稼ぐために何十分も汗水たらしてリキシャ曳いたりしてるオッちゃんたちもいるわけじゃん。つくづく思ったが、前年のウドゥピのガイド君は良心的な奴だった。

このやり取りを不安そうに眺めてた最初の小柄なガイド、とりあえずご本尊の前の回廊まで連れてってくれて、ここで御開帳を待ってな、とだけ言ってそそくさと去っていってしまった。ご本尊前の一段高くなった扉は堅く閉ざされ、その前で僧侶二人が続々と詰め掛ける参拝客から予め寄進を受け取っている(地元の参拝客にはもちろん自称ガイドはまとわりついていない)。幅僅か数センチの敷居部分につま先だけで立つこの二人は天井からぶら下がった紐につかまり、ゆらゆらと揺れながらあちこちに手を伸ばして金を受け取る、なんだか遊んでるみたいだ。

後から後から押し寄せる参拝客の邪魔にならないよう回廊の端で待つこと十数分。鉦が鳴らされ一気に扉が開く。我先にと押し寄せる人々に混じってともかくお賽銭をあげて御印のクムクマをいただこうと前進。しかし阿鼻叫喚で前に進めない。と、坊主の一人が「お前は金払ってないんだから脇で拝んでなさい」と身振りを交えたベンガル語で叫んだ。もちろんベンガル語の知識は無いけどなぜだかこれはハッキリと分かったよ。それにしてもよく見てたもんだ、坊さん。

お寺参りでご本尊を拝んでも、どうしてだかそのお姿が記憶に残らない、とは以前にも書いたが、今度ばかりはハッキリと瞼に焼きついた。そう、まさにここにある通りの切れ長の瞳に射すくめられたのだった。

よれよれになって靴を預けたところに戻ると、落ち着いた風貌の中年男性から「ちゃんとお参りできたかい」と尋ねられ、その言葉にかすかな労わりを感じて落ち着いた。靴、ありがとね、と言って小銭を渡すと、はあ〜っ?てな顔をして傍に蹲ってたお菰さんに投げてやってた。あー、また垢抜けないことをしちまったんだろか。

お寺詣でってのは場所によって微妙に作法が違ってて難しいもんだねえ。

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