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zoom RSS 星州再訪:ダルガーで軽食を

<<   作成日時 : 2011/09/19 15:29   >>

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先日のポストにちょっとだけ補足すると、インドから来たムスリムと地元のマレー人女性との結婚から生まれた混血集団ジャウィ・プラナカンは、19世紀には一定のエリート階層を形成して特にジャーナリズムなどの世界で先駆的な位置を占めていたというが、 シンガポール国立図書館によるこちらの記事によれば、その後コミュニティーとしてのアイデンティティは薄れる傾向にあるという。特にマレーシアのジャウィ・プラナカンの成員は、自らをマレー人として申告するケースが多いとも。おそらくこれには同国のブミプトラ政策が影を落としているものと思われる。まあこれも、ジャウィ・プラナンカンであることにメリットが見いだせるような状況になれば変わってくるのかもしれないけれど。

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話はシンガポールに戻って。

テルク・アーイヤル通りは、チャイナタウンの東側にあり、アル・アブラール・モスクや 天福宮(Thian Hock Keng Temple)などの(この国にしては)歴史ある宗教施設が点在し、シックなショップハウス、近くの高層オフィス群の勤め人を相手にするお洒落なレストランなどが軒を連ねるナイスなお散歩ストリート。

その一角に Nagore Durgah Shrine という宗教建築があるというのは相当前から地図で目にしていた。が、恥ずかしい無知蒙昧から、これは「ナゴール(という地名にゆかり)のドゥルガー寺院」なんだと思い込んでたんだよね。やっと数年前にDurgah/Dargahはヒンドゥー教の女神ではなくイスラーム聖人廟ダルガーであるということに気がついた、なんともお粗末な話。

そんな経緯があって気になっていたので、訳あってチャイナタウン周辺を訪れたついでにテルク・アーイヤル通りにも寄ってみた。

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これが、それかー。なんだかお伽の国風なファンシー建築じゃん!

とりあえず、入り口から中を覗かせてもらおうと思って近寄ってみるとこの釣り書きが。なぬっ、お得ランチセット?ダルガーで?

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1830年ごろ建造されたこのダルガー、1974年に国家の文化遺産として登録されながらも長らくこんな凄みのある姿を晒していたが、2007年に全面的なリノベーションが終わり、さらに2011年5月には建物の一部がインディアン・ムスリム資料館として一般公開されていたのだった。

ただし、資料館とは言うものの、展示品はホントに地味で、むしろ長々とした説明のプレート(英語・タミル語併記)が威張ってる印象。広さも、小さめのコンビニぐらいのものでしかない。

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シンガポールのインド系国民の約4分の1がムスリム(シンガポールのムスリム人口中のインド系の割合についてはこちらなど)。その祖先は亜大陸の各地からやって来ているが、マジョリティはタミル・ナードゥ州中部の貿易港 ナーガパッティナム出身の商人。タミル・ムスリムは古い時代にはチュリア(Chulia)とも呼ばれていたが、一説にはこれはチョーラが訛化したものだという。次いで多いのが マラバール・ムスリム、この集団には特にレストラン経営で成功したものが多いとのこと。さらにタミル・ナードゥ出身だが母語がウルドゥー語であるダクニ(Dakhni)と呼ばれる集団、またグジャラートやベンガルの出身者も。年二回のイードと毎週金曜の礼拝時以外には商いをストップしない彼らはシンガポールの24時間営業飲食店の経営におけるパイオニアでもあるという。娯楽の殿堂ムスタファ・センターの創業者である ムスタク・アハマドもUP州出身のムスリム。

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多くのインディアン・ムスリム@星州の父祖の地である ナーガパッティナムはカーヴェーリ川の河口に位置する海港都市。特に19世紀後半から20世紀中頃までの間、ここから中東や東南アジアの各地に商人達が旅立って行った。近郊の海辺にあるナーグール・ダルガーは、ナーガパッティナムきっての宗教センターでムスリム以外の参拝者もあとをたたない。16世紀に、北インド生まれのハズラト・サイード・シャフル・ハミード・カドリ・カディール・ワリが南アジア各地で布教した後にこの地にやって来て没したことから、ダルガーが建設された。彼がこの地の浜辺で瞑想中に、遭難しかかった船を発見し乗員を助けたというエピソードがあったところから、航海の安全にまつわる聖人として特に海運関係者から篤く信仰されている。

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かつては海岸通りであり、艀の行き来する港湾の一部だった星州テルク・アーイヤル通りに、ナーガパッティナムから到着したムスリムがナーグール・ダルガーの末院を建造したのは自然な流れだったのか。ただし、この一帯はチャイナタウンやリトル・インディアのようなエスニック・クオーターにはならず、むしろ各国からやって来た商人達が共棲する地域であった。

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話はずれるが、ナーガパッティナムのムスリムというのは、タミル・ナードゥの中でもかなり際立ったキャラクターを持ったコミュニティーと見なされているようで、タミル映画の中での登場も、そう多くはないが印象に残るものが多い。Pokkisham (Tamil - 2009) Dir. Cheran はヒンドゥーのヒーローとムスリムのヒロインの恋愛というありきたりなテーマを扱いながらも、その恋が成就するのか破れるのかが最後までペンディングのまま進行するスリリングな物語。ナーグールの寂しい浜辺の景色が脳裏に焼き付けられる。それから、公開当時はそういう意識では見ていなかったが、日本でも人気があった Bombay (Tamil - 1995) Dir. Mani Rartnam も、具体的な地名が示されはしないとはいえ、前半部分の舞台は明らかにナーガパッティナム周辺として設定されていたと思う。

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説明プレートばかりの資料館の奥には軽食を供するカフェ(特に名前はなし)。すっきりしてお洒落なしつらい。ロティ・プラタとエッグ・プラタ、それに テー・タリクでブレイク。別にこれのためにわざわざ食べに行く、というようなものじゃないけど、悪くない。
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カフェのさらに奥に、本来のダルガーに相当するスペースが僅かに残っている。とは言っても何らかのご神体が収められているのでもなく、極彩色で描かれたナーグール・ダルガー本院の細密画とか、そういうゆかりの品々だけ。壜に詰められたナーグールの浜の砂に、かつてダルガーに集った人々の郷愁が凝縮しているようだった。

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観光施設としては地味過ぎて、グルメスポットとしては半端過ぎて、ガイドブックなどで紹介されることは多分ないだろうこのダルガー、穴場と言っていいはず。インド趣味の人ならば一度ぐらい行ってみて損はない。モスクとは明らかに異なる、何でもありのダルガーというものが体感できる。

いろいろ書いてはみたけれど、ネタ系じゃなく味本位でのインディアン・ムスリムのグルメって言ったら、平凡だけどやっぱりカンポン・グラムのノース・ブリッジ・ロード沿いの一連のレストランだろうね。写真は Victory Restaurant のマトン・ビリヤニ。うーっ、何度でも行きたい!

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
大変遅ればせながら記事を拝読しました。面白かったです!
常に興味深い視点から南?インドを見られてて勉強になります。

シンガポールのタミル系ムスリムという複雑な背景もいまやアイデンティティーはマレーシア人になりつつあるんですね。

このダルガーは一部の人々の心の拠り所としてこれからも在り続けるのでしょうか。

ナーガパッティナムについて無知過ぎてすみません…(T_T)もっと勉強します。ありがとうございました。
ぢぇぢぇ
2011/09/29 18:24
ぢぇぢぇさん、

お忙しい中にご来臨下さいましてありがとうございます。

一口にタミル・ナードゥ州といっても、ヨーロッパの小国ぐらいの面積があるのですよね。そこにバラエティに富んだ生活文化がどのくらいあるのかと思うとちょっと気が遠くなります。

どうぞこれからも色々と教えて下さいませ。
Periplo
2011/09/29 19:15

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