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zoom RSS 星州再訪:インディアン・プラナカンという発見

<<   作成日時 : 2011/09/16 22:29   >>

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ええと、発見といってももちろんこれはオイラにとってのということ、念のため。

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今回の旅行、印刷物の渉猟という点ではいまひとつ成果が上がらなかったのだが、唯一の例外がこの本。

Peranakan Indians Of Singapore And Melaka: Indian Babas And Nonyas - Chitty Melaka
by Dhoraisingam, S. Samuel (Institute of Southeast Asian Studies, Singapore, 2006)

現地価格は39.9シンガポール・ドル、通販なら Select Books などで取り扱いあり。一部のページをこちらで閲覧可。

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プラナカンという単語(かつては Straits Chinese などとも称されていた)は、この10年ぐらいでシンガポール・マレーシアを語る界隈では随分とポピュラーな言葉となった。最大公約数的に定義すれば、16世紀ぐらいからマレー半島に移り住んだ中国商人の男性と現地のマレー人女性との間の結婚の盛行によって、そこから生まれた混血人種コミュニティーを総称する言葉。俗な言い方として、そのコミュニティーの成員をババ(男性)・ニョニャ(女性)とも称する。さらにこのババ・ニョニャが中国人と結婚して生まれた子供もプラナカンと見なされる。そんなこと言ってたらマレー半島の中国系人はほとんどみんなプラナカンと言うこともできそうだが、一応コミュニティーの特徴として、中国語の語彙を多く取り入れた独特のマレー語を母語とする、そして多くが中国仏教・道教を信仰する、ということで括られている。父祖となった中国系の祖先の出身地によって潮州プラナカンとか福建プラナカンとか、さらに細かく分けられることもある。混血の度合によって容貌はバラエティに富んでいて一概には形容しにくく、早い話、プラナカン博物館の中で愚問を発した筆者に学芸員さんが「君もプラナカンなのかい?」と尋ねるぐらいのものなのである。プラナカンの有名人と言ったら、やっぱりリー・クアン・ユーということになるのかな。ディック・リーの方が有名かな。

このようにプラナカンは相当に広がっていく可能性をもつ言葉だが、観光行政的にはあまり広がりすぎると困る。観光的な売り物としてのプラナカン文化とは、「成功した大金持ちの」混血人種のそれに限定されている。2008年にオープンしたプラナカン博物館の展示も、プラナカン協会のアピールも、概ねそれに沿ったものになっている。19世紀後半以降に錫鉱山やゴム・プランテーションで働く苦力として怒涛のように流入し、その後都市下層民として定着した中国系人とは一緒にしたくないようなのだ。こちろんこれはどこにもハッキリと書き記されてはいないことだが。

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一方でプラナカンという呼称の「成功」によって、「海峡華人」以外のプラナカンにも光を当てようという試みも多少はなされているようだ。欧米人との混血の末裔であるユーレイジアン・プラナカン(クリスタンとも)、インド人との混血であるインディアン・プラナカン、同じインド系でもムスリムに限定したジャウィ・プラナカンなど。

本書はそういう試みの中ではおそらくパイオニア的な位置にいるのではないかと思われる。インディアン・プラナカンもまた、比較的近年に流通を始めた用語で、古くはチッティ・メラカ(Chitty Melaka)、つまり「マラッカのチェッティ」と呼ばれることが多かった。本書を始めとして多くの資料では「chitty」は商人を意味すると説明されているが、実際にはカースト名としてのチェッティヤール、なかでもナーットゥコーッタイ・チェッティヤール(タミル・ナードゥ州中部のシヴァガンガイ県やプドゥコーッタイ県、俗にチェッティナードと呼ばれる地方を発祥の地として、他のチェッティヤールと比べても特別にエリート集団を自認しているコミュニティー)であることは、様々な資料から読み取れる。

インディアン・プラナカンとは、このチェッティ商人たちとマレー人女性、あるいは中国系プラナカン女性との間の婚姻によって生まれた混血の集団と説明される。一般のタミル系シンガポール人・マレーシア人と区別される特徴は、タミル語の語彙を多く取り入れたクレオールなマレー語を母語とすること。一方、信仰生活においては父祖伝来のシヴァ派のヒンドゥー教を守っており、人名もヒンドゥー教徒のそれである。移住の時期が古いため、インドとの人的な交流はほとんど途絶えてしまっており、成員の意識においては、メラカ・チッティとインドのチェッティヤールはすでに別々の異なったコミュニティーと見なされているという。

インディアン・プラナカンの中核は、このようにタミル・ナードゥのチェッティナードにルーツを持つ人々(本書中では特に Pillay 姓の人名が目立つ)であるが、実際の星州土生印度人には Nair 姓の成員もいたりするようで、一筋縄ではいかない。

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実はまだこの本、最後まで読み切っていないのだが、星州にあるチェッティヤール系の寺院(こちら参照)やチェッティナード料理のレストランとかとの関係はどんなものなんだろうね。

そしてまた、衣装や室内装飾に現れた華麗な造形の世界。本書に収録の豊富なモノクロ図版を眺めると、確かに既にインドのものとは遠く離れたところに来てしまっているような印象を受ける。一方でチャイニーズ・プラナカンの装飾意匠との際立った違いも見いだせず、若干戸惑うのも事実。しかし、本書によれば、これらの風俗も、細部を見ればチャイニーズ・プラナカンとは劃然と異なる、独自なものであるとのことだ。こうなったらもう、インディアン・プラナカンの本場であるマラッカにでも行くべきなのだろうかと思えてくるのであった。

そしてまた、本書を追いかけるようにして、インディアン・プラナカンの初のレシピブック The best of Peranakan Indian - Chitty Melaka Cuisine というものも刊行されたとのこと。これは見てみたいわ。

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